身近な出来事〜内田樹講演会参加・「タフでしなやかな外交とは?平和と基地問題から考える」

このブログは、もちろん知っている方ではあるが、会うと「時々読んでいる」と言われたり、メールで「最近更新が少ない」と突っ込んでいただいたりと、恥ずかしくも、ありがたいことである。
というのは、少しばらすと、わたしと同じく元職場をリストラされた方々にとり、わたしの近況を知るために格好のツールであるからだ。(わたしは幾人かの元同僚にブログのことを伝えている)
その目的にはあまり合致しない、手前勝手なことばかり書いているので、今後は、身辺に関わることから、恥ずかしながら、書くようにしたい。
一種の読者サービス?といえようか。
といって、ブログほど最初書く気があったこととまったく違うことを書いてしまう場はない。
これは、ブログをやっている人なら、よくわかる感覚と思われます。というのも、おそらく、ブログはあまり下書きをせず、直接キーを打って書かれるのが、正当と言うか、一般的なパターンだと思うからだ。
よって最初に書こうとしていることをタイトルにするが、書きあがると、タイトルとはまったく違うことを書いてしまい、あわててタイトルの方を変えてしまうことが多い。
今日はタイトルにあげたように、アノ内田樹先生の生の講演会を聞きに行った。
京都弁護士会の「憲法と人権を考える集い」の催しで、国際派人権弁護士の土井香苗さんも講演された。
(こう書いていて、もっと事前にこの催しのことを、ここに載せて皆さんにも来ていただけばよかった、と今になり反省します。わたしには内田先生の話は非常に面白く、有意義な時間でした。内容については、後日あらためて報告します。
追記)この翌日、内田樹の研究室(ブログ)にこの講演会のことが書かれていたので、もしよければ、先にお読みください→http://blog.tatsuru.com/2010/11/29_1130.php
内田先生は、急激にメジャーになり、こうしたお堅い催しにも引っ張りだこなのであろうが、講演冒頭に、知人に頼まれてやむなく、となりゆきを話されていた。
昔、こうした憲法を考える、みたいな講演でトラウマになる思い出があり、知人(石川さんと言われていた。おそらく『マルクスを読め』の対談の経済学の学者)頼みがなければ引き受けなかった、とのこと。
さて、その内田先生の昔からの発言場所は、書物やメディアではなく、ブログである。
そしてブログの、おそらく最大のメリットは、それは最も危険な欠点でもあるのだが、「思考の現場性」だと思う。
彼(と、敬称略でいきます)の本は、ほとんどブログに書いた論考を手直ししたものばかりで、そこには準備とか構想とか普通に文章にはつきものの水面下の努力、みたいなものは(もちろん別な意味の努力:思考や経験)あまり感じられない。
今日聞いていた講演内容も、ほぼブログに書かれているような話し方で、内容はもちろん違うが、いやブログやエッセイに書かれていることの変奏の一つであるという意味で違うだけで、本質的なことは変わらないお話をされていた。
ブログというのは、そういう意味では、書き言葉には違いないが、従来の書き言葉より、即興性というか、アドリブが効く、まったくいままでにない動き、変化を内包した情報が、掲示されているように思う。
それはだから鮮度が落ちやすいかもしれず、もちろんどんな情報も長い時間の中で鮮度は落ちざるを得ないが、それを活字にして紙に印刷すると、なんとなく冷凍保存できている気がするのは、気のせいか。
いずれにせよ、内田樹の存在の面白さと書く内容の鮮度と影響力は、その発表の場がブログというメディア(なのかな?くわしくメディア論を知らないのでわからないが)であることの結果であろう。
しかしこれはわたしが最初に言っているわけではなく、文芸評論家の加藤典洋が『僕はなぜ批評家になったか』という本で述べているらしい。そのことは、内田樹の文春文庫ではたぶん最新のエッセイ集『知に働けば、蔵が建つ』の解説で関川夏央が書いていたので知った。
そして、逆に内田樹がその加藤典洋のある書物の解説をしており、そのなかで、「加藤はこの論争を通じて、『正義』は原理の問題でなく、現場の問題であるという考え方をあきらかにしていった」と書いていたことを思い合わせ、ブログが内田樹さんには、すごくフィットした思考開示の場、意見や見解を述べる場なのだな、と講演会を聞いたいま、あらたに思いを深くしたわけである。
それは、書くようにしゃべり、しゃべるように書くことであり、しゃべるだけ、書くだけとは違うコミュニケーションの形態がある気がした。
これを可能にしたのがブログであったのではないか。
そして、言ったとおり案の定、書こうとしていたことと、まったく違うというほどではないが、かなり外れた場所に出てしまいました。
固い決意も、うそになってしまう可能性があるということを、立証してしまった次第。
これに懲りずに、お付き合いください…。