あるブログより〜被災地の現地の情報

「賛否両論ある」とこのブログにもあるが、マスコミでは得られない現地の情報がはてなブックマークにあったので、ここにリンクを貼ります。
内山幸樹のほっとブログ : TVで自粛するようにと言われているが、実際に現地に物資を運んでみて分かったこと - livedoor Blog(ブログ)

今日は、仕事中真冬並みの風が吹き、雪が舞ってきた。こんなことを言っても仕方ないが、自然はなんという仕打ちをするのか。しかし、大手マスコミの「ボランティアは現時点では危険」の教科書的なコメントの一面岩は、われわれ一般人の動かない、また確かに物理的にも財務的にも立場的にもいろんな条件から動けない人間のための安堵情報でもある。(もちろんわたしもそうなのである。)
制度的な災害支援の道筋の整備を、みたいなことを言っている間にも、いや、そんなことを言ういとまなく動いている人は動いている。それが、本当にいいことなのかどうかは、答えは簡単には出ないだろう。
しかし、おそらくこうした行動を正しいかどうか問題にするのは、おかしいのかもしれない。

昨日、時々聴く小林秀雄の講演を録音したCDの中で、有名な講演だが、彼がベルグソンの話をしていた。ベルグソンが講演で語っていた話が本になっていて、その本の中にこんな話があったという。
ある女性の夫が第二次大戦中に戦地で死んだとき、その女性は、その夫がほかの兵士に囲まれている様子をほぼ同じときに寝ていて夢に見た。そのことを、その女性が語るのを聞いていたある有名な医学者が、その女性の話を聞いて、
「あなたの話は本当だろうが、人間は予知夢や幻視っぽい夢を見るが、その大半が”うその夢”であり、つまり人が死んだ夢を見てもその人は現実には死んでないことが多い。その「間違った夢」を、どう説明するんですか?」
ときいたという。

そのとき、その医者とその女性の話を横で聞いていた若い女性が、
「先生の話は、論理的には正しいけども、間違っていると思います」といったという。
その話を題材に、ベルグソンは講演で「学者というのは、自分の学問の方法論にいかに縛られているか」ということを語ったという。

この話は、どのような意味があるか。小林秀雄は、その学者は、その夫人が自分の夢の話をしているのに、それを違う話、つまり「夢は正しいか正しくないか」という問題にしなおして、話をしていると言っていた。
「その夫人は、自分の体験を話したんです。”問題”を話したんじゃないんです」
と、語っていた。

この話は、聴いた当初はもうひとつ良くわからなかったが、昨日はっきりとわかる気がした。
わたしは、正しいか正しくないかをまず考えたがる。しかし、本当はそれは、体験とは別の話なのだ。
書いているうちに、どう終わるかわからなくなってきたし、これは哲学的な理論の問題で、小林秀雄ベルグソンの理論はもっと深いのだが、と断っている。

ただ、最初に紹介した被災地についてのブログの話も、関係している。
彼らの行動が間違っているか間違ってないかという問題と、書かれている体験とは、別な話だと思う。(こう言うと誤解を受けるかもしれないし、手法を問わない結果オンリーでいいのか、という問題は残るが、、)
だからこそ、それを安易に真似るのも、過度に賞賛するのも、どちらも間違っているのだ。しかしながら、こういうこともあるという事実、つまり体験は、ゆるぎない事実であるので、ここに紹介する次第です。