NHK教育「もう一度歌いたい フランプールと中学生」(再放送)を見る。

 突然だが、いま、その番組(再放送)を見ている。これは、ETV特集の「ロックバンド・神聖かまってちゃん“の子”に密着」という番組を(見たかったのだがちょうど友達から電話があり、瞬間忘れてしまった)終り5分くらい見てたあと、続きで始まった番組だ。
どちらも、東日本大震災が大きなトピックとなっている。歌、音楽とこのような大災害について、主に若者(後者は中学生の合唱コンクール)をめぐる精神的な復興を考える番組だ。
新聞や雑誌メディアも、震災から2ヶ月、こうしたメンタル面での復興、ケアをテーマにした特集記事が多いことに気づく。今日久しぶりに寄った本屋でも、雑誌は「この時期に読みたい本」みたいな特集をしていた。

 さて、この番組はまったく私は知らなかったが、毎年NHKが中学生対象の合唱コンクールを主催していて、通称「Nコン」と呼ばれるそのコンサートの今年の課題曲が、フランプールというバンドの「証(あかし)」という曲だった。
 仙台で被災した中学生が、自宅が全壊したことから茫然自失していたところ、この課題曲をネットで知り、何とか立ち上がる気持ちになり、このバンドのブログにメッセージを書き込んだ。
 バンドのメンバーは、そのメッセージを見て、仙台に出向き、中学生に会いに行くという内容だった。
 もうひとり、このフランプールのサイトに投稿した女の子は、この合唱コンクールに出場する予定だったが、地震による被害が大きく、生徒の半分くらいが、近親者に頼るなどいろんな地域に分かれてばらばらに避難することになり、コンクールに出場できなくなったらしい。
 しかし、1回だけ聴いたこの「証(あかし)」という曲が、頭にすっと入り忘れられないという内容。
  
 いま、こうして書いているうちに終わってしまったが、確かに音楽や本が重要な効果を発揮する時期に来ているのかもしれない。たぶん、それが、被災者にとっては、元通りの生活といまの状況をつなぐ、大切なものなのかもしれない。
 
 ただ、わたしがこのブログ記事を書こうと思ったのは、ほんとうに卑小なそして懐かしい個人的な思いに駆られたからであり、理由はまったく取るに足りないものだ。
 
 この、フランプールが学校に来るきっかけになった「書き込み」をした女の子が、番組の中で、フランプールのメンバーが教室に入ってきて、書き込みをしてくれた人は誰ですか、と問いかけたとき、非常にいたたまれない顔をしていた。
 そして、自分は、ただ単に地震で家がなくなって、いままでその家で暮らしてきた10年間がいとも簡単に崩れてしまったのを目の当たりにして、「もうどうでもいい」という気持ちだったのを、少し前向きに変えてくれたのが、その「証」という歌だった。それを、単に言いたかっただけなのに、「こんな大事(おおごと)になって、、、」と少し困っているのが、懐かしい思いに駆られた。

 そう、ちょうどわたしも、同じような(被災した経験ではなく)経験をした。わたしの場合、高校にもう行っていたが、思うところあり、当時自分を苦しめていた大学受験おもに「共通一次試験」に対する批判的な意見を書いて、新聞部のBOXにほりこんだことがあった。
 すると、確か夏休みか冬休みの前の日だったかに、新聞が配られ、その中にわたしの書いた意見が「波紋」というタイトルで、全文活字で組まれ、なんと当時の高校教育と大学受験、果ては6・3・3制という「戦後の教育制度」の是非などを特集を組んで検討する紙面になっているではないか。
 その中には、ノーベル賞数学者広中平祐の奥様の広中和歌子さんのアメリカの教育制度を紹介するインタビュー記事なども組まれ、すごいことになっていてびっくりした。
 わたしも「こんな大事になるとは」と、教室であまりばれないうちに早々に退散し、ひとりになってその紙面をみながら、思った。
 思えば、パソコンもブログも携帯さえなかった1980年前半、自分の書いた文章が活字になったのは、初めてだったような気がする。
 
 新聞部の方々には、何も言わずに卒業してしまったが、わたしの殴り書きのような原稿をそのように取り上げていただき、素晴らしい特集を組んでくださったことに、かなり年月が経ってしまいましたが、この場を借りて?お礼申しあげます。

 このあと、大学へ入って、わたしは同人誌を作るサークルに入り、文章を活字に意図的にする活動をすることになるが、それもこのときの衝撃が、なせる業だったのかもしれない。
 ところで、「証」という曲、番組で始めて聴いたが、たしかに震災後その内容が重みを持つ歌詞であった。(番組の路線でNコンの画像から紹介します)