ブッダ・カフェ第6回のメモ 「DECO・CHAT」発刊記念〜旅と本について

ブッダ・カフェ第6回に参加。最初にこのカフェのはじまった経緯を扉野さんが語り、つづいてタイトルにある(「デコ・シャ」と読む『DECO・CHAT』[デコ・シャ]vol. 1 発行しました。: 本と暮らす(旧half-moon street 125))旅と本についての25人によるコラムを集めた本、これはブッダ・カフェに最初から参加されていたデコさんが10/1に発刊された細長いサイズの雲のペン画〜版画?のイラスト*1が表紙な本、が生まれたいきさつについてデコさんから話。
以下印象に残っていることをかなり大雑把に、発言者を記さず、書いてみる…(個人的に考えるためのヒントにするために記しています。参加者の皆さんご了承ください)。
フィレンツェへ行くツアーでキャンセルが出たので行かないかと誘われ、帰ってきて一日して「本を出そう」と思った。
メールで声をかけて原稿を集めたら当初予定の人数が増え25人もになった。催促せずにいても、早めにいただけた、遅筆で通った人でも。

共同作業、校正も古書店で声をかけてもらった方に依頼、驚くべき丁寧さ、原稿依頼したかたからも紹介してもらった。
作ったあとそれを読者に渡す、という作業が待っていた。いままで間接的に関わっていた本というものを直接読む人に届けるという行為に、驚き感動があった。
本の前書きに書いたが、イタリアから自分の次男に出した葉書がずっと届かなかった。しかしこの本ができた直後に届いてびっくりした。(この葉書(絵葉書)は、実際に届いたものが回覧され、見せていただいた)*2

震災以来、普通の話がしにくい雰囲気があったが、この本を読んで息をつけた感じ。

いままで文章というものを書いたことがなかったが、旅行記が好きだったので。(その方の文章は本の中でもよかったので読んでいた人は驚いていた)

反応を聞いていると、読んだ方それぞれ好きな文章がなぜか違う。

「リトルプレス」は売れる売れないとか考えなくて、個人の負担を強いつつ、発言できる可能性を豊かにもった方法。地震後、マスコミの言葉には違和感があったが、しっくりくるものは、なぜかリトルプレスのものばかり。

どちらの方向に向いていてもいまはやったもの勝ちである。プライベートプレスを昔やっていた人がいた。詩人の滝口修造

旅といっても、遠くへ行く必要はない。「タバコを買いにタバコ屋へ行くのも旅だ」と言った作家がいた。吉行淳之介

800字は一息でかける長さ、これをいつかOさんという方が言われていた。もっと長く読みたいというかたもいたが。

本の装丁の作業は、メールでのやりとりよりも実際に紙を手にとって、触ってやらないとわからない。

手で仕事をしている人は脳が手にある。

編集仕事はメールで24時間営業している。

昔の編集者は作家と会うのか大変だった。あの店に何時頃行けば会えるなど、いろいろ想像を働かして動かねばならない。*3

携帯ができる前は待ち合わせが大変だった。

インターネットで時間は早く効率化したが、何を失ったのか。・・・

・・・文化。スティーブ・ジョブはキープ・フーリッシュといった。

原発なしでやっていける世界がこないといけない。

普段はパソコンにインターネットを繋がずに仕事をしている。メールの返事もすぐにはしない。そうすると「あいつはそういう奴」と思われ楽だし、余計な心配をされない。

「(地震原発や政治の話とは)まったく関係のないことを書いたり考えたりする人も必要なんですよね」と扉野さんがいったことをすごく覚えている。
世の中にまったく関係ない天文学の研究を太平洋戦争中に自宅にプライベートな天文台を作り続けていた人がいた。

天文学は古代においては最先端の科学だったのでは。

天文学は人類の最初の科学だった。昔は稲作のために一年の周期を測るため星を観察する必要があった。人類は、動物たちが休息する時間にあてていた夜を「観察の時間」に変えた初めての動物だ。

用のないことをするということについては、アリのなかで必ず二割は働かないという現象が報告されている。それは働かないアリが固定されているのでなく、それまで働いていた十ぴきのアリを集めて箱に入れておくと、二匹はじっとしているという。生物にプログラムされている?*4

魚でも同種類の魚をひとつの水槽に集めすぎると、一定数になるまで殺し合う。淘汰?

数ということでいえば、昔衝撃をうけたのは、ものすごい数のオットセイの群れが移動するとき、小さい子供や弱い仲間を踏み潰して移動する映像だった。すごくショックを受けたのは、自分がその群れにいたら、おそらくその踏み潰される側に入るだろうということ。

自分もどちらか生き残れる方とは違う選択をしてしまいがちだ。納豆の容器の底にこびりついた潰れかけの納豆に自分をみる。*5

前回も話題になった*6が、人間の赤ちゃんが生後二年間は親の庇護にないと死んでしまうくらい、自然のなかでは弱い種であり、その弱さは脳を大きくして進化した結果であること、それが自然から離れた人間の存在を表している。*7

*1:わたしは以前このブログ「六面体」広島市立大学大学院彫刻選考学生によるグループ展@京都寺町Gallery知 - 為才の日記でも取り上げたが、「雲」の絵に最近縁がある。あの雲をあたまと首にまとった木彫の造形は、わたしに「無意味」の「意味」を教えてくれた。

*2:最近のわたしの体験だが、携帯メールで返信が帰ってこないメールにいらだっていたら、自分のほうで、別の人に返信が滞っているものがあったのを思い出し、それを送ったらその直後に、待っていた返信が着信したことがあった。情報の滞り、流れが悪くなるときは、パイプを掃除しないと流れない?(それとは違う現象かもしれないが、いずれにせよ、出口と入口はつながっている。そういえば、村上春樹の初期の作品では、出口と入り口についてのテーマがあったことを思い出す。また批評家の加藤典洋が、「風景」が「真空」によって生まれる、ということを「風景の影」という評論で語っていた。。。)

*3:これに関連して、思い出した話があったが、原典がわからず発言を控えた。帰ってから調べたら、古書善行堂の山本さんが、著著のなかで書かれていた次のような文章だった・・「この叢書(EDI叢書)の完結記念トークショーでの、荒川洋次さんの言葉は心に響くものだった。荒川さんは芥川龍之介全集の年譜に触れて、次のような話をされた。その年譜には、芥川が何年の何月何日何時に友人宅を訪れるがそのとき友人と会えなかった、とそんなことまで記述されているという。今なら携帯で在宅かどうか確かめられる。でも荒川さんは、この会えないことがかえってよかったのではないかと言われた。会えればああ楽しかった、で終わるところが、会えなかったことで、歩いて帰りながら、やっぱりあのことは言わないでよかったとか、今度会ったらこう言おう、とか、いろいろと考えるのがいい、想像が膨らむのがいいというのだ。」(山本善行『古本のことしか頭になかった』大散歩通信社 p.28)

*4:この話は、最近わたしの友人I氏が、「職場で仕事をしない人間がいるが、そういう人も必要なのかもしれないと最近考え出した」という話をしていて、そのときに「アリもそうだ」ということをきいて、この場で発言した。ところで、田村隆一が『1999』という詩で、そのアリをとりあげ、扉野さんの恩師で、つい一昨日ブッダ・カフェと同じ会場である徳正寺でレター式のプレスについて講演された詩人平出隆さんが、書いている。・・・「田村隆一の詩にあらわれる怠け者ぶりについて、あらためて眺め渡してみたくなった。というのは、ここしばらくの詩作を読み返していて、その旺盛といっていい詩作の量に思いが至ったとき、ではあの怠けぶりはどういうことなのか、と反射的に考えた次第だからである。たとえば、一九八二年刊行の詩集『スコットランドの風車小屋』の中の「1999」と言う詩はどうか。
 蟻の話をどこかで聞いた。
 蟻は働き者の象徴だと思いこんでいたのに
 それが全く違うのだ
 
 たとえば
 餌をせっせと運んでいるのは
 十匹のうち
 たった一匹
 あとの九匹は前後左右をウロウロしているだけ
 さも忙しそうに
 活力にあふれて
 怠けているんだって

 ここまでは、「蟻とキリギリス」の寓話からちょっとした転倒が起こっただけのことである。だが、その先のところで、田村隆一が声を発する。

 ぼくも蟻になりたくなった。
 九匹の蟻の仲間に入って
 ときどき
 観念的な叫び声をあげればいい

 「観念」ということばのこのような正確な用例は、詩集『四千の日と夜』や『言葉のない世界』からずっとつづいているものである。ここでは詩人のことばが自分自身を指して、「観念的な叫び声」と形容しているといえるだろう。そこには、人間存在のもっともなまなましい部分を、いつも最遠方からのヴィジョンにおいてとらえ直そうとする、この詩人に独特の視線のはたらき具合がある。」(平出隆「見えない労働」思潮社刊 続続・田村隆一詩集 p.136)

*5:これについて、柄谷行人夏目漱石を論じたデビュー評論『畏怖する人間』でとりあげた漱石の隠れたテーマ「意識と自然」論を思い出した。「ある人間が生きるということは他の人間の死をひきかえることによってだというような酷薄な認識から出発した漱石が対等なる他者を発見し、「人間の平等」というヒューマニスティックな観点から出発した文学者がその逆に大衆に犠牲を要求して当然であるかのように考えるのは、皮肉というよりない。」(柄谷行人『畏怖する人間』講談社学術文庫 p.54-5)

*6:http://d.hatena.ne.jp/izai/20111001/1317433788

*7:パスカルの「人間は考える葦」