大阪の不思議さ〜浪花の珍百景

昨日は天候に恵まれ、蒸し暑くもなく、好天、適度に雲が出て陽射しもきつくない。
元会社のNさんの四十九日の日、ささやかな偲ぶ会と称した会食があり、久しぶりに大阪に。
朝はついでにNさんのご家族にちょっとした伝言もあり、先月うかがったK長野へ出向いた。
ひこうき雲がでていた。

前から交通機関にうとい人間だが、事前に下調べなくいくもので、帰りに隣のS市にいる友達と待ち合わせしていたが、乗換駅で乗り過ごし、迷惑を掛けてしまった。
行けばわかる流で行くのはいいが、帰りが実は大切である。
兼行法師もたしか徒然草で言っていた〜木を登るときは地面に降りる直前が一番油断して怪我しやすいと。
夜の会食まで時間があったので、友人と会い、食事後、団地のすぐ近くに延々と続く森林に入り、芝生の公園で缶ビールを飲んだ。
どうもS市のこのS北ニュータウンと呼ばれる大きな住宅団地帯は、もともと広大な森林だったことがうかがえた。
芝生もあり気持ちのいいところだった。
がこれらの景色がどこか見たことある景色に思えていた。
それでたしか映画で見たヌーベルバーグにでてくる団地によく似ている、と思い付いた。
たくさん子供が遊んでいる。
女の子がクローバーの生えている草むらでしゃがんでなにかを探していた。
たぶん4つ葉のやつを探しているのだ。

遥か昔、わたしたちもやった覚えがある。
さてそこから梅田に向かうときに不思議な体験をした。
地下鉄に乗り換えるとき、駅の地下通路をでたとき、おばちゃんが「この1日乗車券使えるか…」と訊いてきた(ようにわたしには聴こえた)。
わたしはてっきり、お年寄りなので切符の使い方がわからないのかな?みたいに思い、駅員に訊いたら?と言おうとしたが、なんやらうまく伝わらず、おばちゃんは別の人に声掛けようという体勢になり、わたしはそこをあとにした。
やがて、切符を買う直前にはたと気づいた。
あれはもしかして、1日乗車券を使い終わったおばちゃんが、まだ何回か使えるし使うか?という意味で、通りすがりのわたしに渡そうとしたのではないか!
たしかに考えてみると、わたしもよく京都で地下鉄の1日乗車券を買うが、使い終わったとき、まだ使えるけど仕方ないと思い捨てていた。
いまから戻ってもらいたかったが、もう遅い。仕方なく切符を買ったが、ああ損した〜と思わざるを得なかった。
そのときだった。隣の発券機で切符を買おうとしていた、野球のユニフォーム姿の中学生らしきグループにサッとすれ違いざま、おっちゃんが「兄ちゃん、これ使い」と言ってなにかを手渡ししていた。
それはまさか。そう、あのおばちゃんがわたしに渡そうとした1日券だった。
どうもこういうことは、いとも普通にされているようだった。

こんなことが起こるのは、全国ひろしと言えども、まず大阪以外には起こりようがない、と思う。
ある意味ケチなのだが、その発想のもとはもったいないであり、お上の目をかすめて、得なことをみんなで共有するみたいな。
あのおばちゃんも、使い終わったら自分一人で完結しといたらいいところを、まだ使い得があるから、誰かに渡そうと、わざわざ入り口で待っていたのだ。
これは、少なくとも、おとなり、「いけずな」京都ではまず見たことはない、一種の珍百景だと思う。
あまり当局が知って今後取締りが厳しくなったり、1日券がなくなったりするとしょうもないので、こっそり話題にします。
サービス提供側としては、おいおい、と頭の痛い話かもしれず、昔はわれわれも受講生のこの手のちょいワルな手口には頭を悩ませたものだったが…。
ただ、「浪花のおばちゃん」という、独特なものが大阪にはかつてあり、今も絶えてない、という話である。
今日のニュースで、通天閣の歌謡ショーが存続の方向で話し合われている、みたいな報道があったが、大阪という文化は、なかなかしぶとくかつ不思議なものと、あらためて感じ入った。なにか応援したいものを感じる。

偲ぶ会では、ひさびさに前の会社の共通の話題、あの人はどうした風のものから、まだしぶとく(うちは同業他社に合併されたので)残っている方から、いまの仕事のことを少し聞けた。
Nさんの思い出話は、最後に元銀行マンというテーマに収斂し、お札の数え方はさすがにうまかったみたいなことも話題になる。
わたしはそれは見なかったが、そばで見た方は相当感心していた。
それだけ?とNさんは苦笑するかだろうか、、。
考えると、なかなか仕事の現役だったときは、こんなふうにクダケテ話すことはなかったものだ。
Nさんも、本当にこのような場で話したかったろうと、思わずにはいられない。
最後に、病気療養中のNさんと頻繁に連絡を取り続けていたOさんが、Nさんからのメールを少し紹介して、素敵に締められた。

とくにまだ同業他社の「圧政」に耐えつつ生き残っている講師の先生(もお一人律儀にも出席されていた)や元同僚たちは、つくづくよくやっていると思うが、がんばってほしい。
次の日、朝早いと言って帰っていった。