ブラームスの交響曲PART2〜対談:交響曲について

(最初にお断りしておきますが、以下の対談はフィクションであり実在する人物とは一切関係はありません。)
Sukesan:交響曲のよさを教えてください〜どこがいいんですか〜ぜんぜんよさがわからないんですけど〜
izai:あんまりよくないですかね〜。でもSukesanはオーケストラやってたことあるんじゃないんですか?私は聴くより演奏する方がカラオケなんかと同じで、断然楽しそうに思えるんですが〜
Sukesan:いや特に面白くはないですよ。ひとりで弾いてる方がぼくは好きです。
izai:そうなんですね〜。あまりコンサートなんかも行きませんか?生のオーケストラを聴いたらきっとイイと思わないかな?結局、交響曲なんてつまりオーケストラのよさなんだから。
Sukesan:どういうふうに聴いたらいいか、わかんないんですよね〜まったく。
izai:ほかの音楽と一緒なんですけどね〜。でもSukesanの言っていることはわかる気がします…。たぶん学校の音楽の授業で無理矢理聴かされて、嫌いになったんじゃないですか?
それとウンチクがまずいやみたいな〜。
この間の日記にロマン派を作ったのはベートーベンやみたいなこと書き出しましたけど、あのあとも書いていたんですが、私も嫌になってしまって〜。なぜ多くの人がクラシック音楽が嫌いかっていうと、なぜかクラシックファンはウンチクをたれる傾向があるので、みんなそんな持論を聞きたくないんじゃないかな〜。
Sukesan:それはありますね。他の音楽だったら、好き・嫌い、いい・悪いとか、ひとことでだいたいすみますもんね。
izai:でも一部の人たちがクラシック音楽について語ったり、書いたりしていることは、いいですよ。昔、小林秀雄の「モオツァルト」がありました。賛否両論ある本ですが、面白いのは、小林秀雄は当時西行徒然草とか日本の古典について書くことが多かったんだけど、あの本は西洋音楽もロマン派より古典がいいっていうだけの本なんです。なんでもかい〜ってつっこみたくなる(笑)。
最近読んだのでは茂木健一郎の「すべては音楽からはじまる」(光文社新書)音楽と脳のしくみ、肉体と音楽の関係について体験を語っていて、さすがと思いました。茂木さんはシューベルトの未完成交響曲、ベートーベンの田園交響曲で、音楽=西洋音楽の本質を知る体験をしたと言っています。
やはりクラシック音楽のなかにも協奏曲や弦楽四重奏曲やいろんな種目がありますが、楽器が発達し、オーケストラの人数も増え、和声の複雑化に耐えれるようになった時代に活躍したベートーベン以降の作曲家は、やはりオーケストラの醍醐味を発揮できる交響曲で勝負したかったんじゃないかな〜。
たしかに交響曲である必要はないんで、交響曲交響詩(リストやドビュッシーが作曲)のちがいもよくわからないんですが〜。
Sukesan:呼び方なんてどっちでもよくって、音がよければって思いますよね。なんで、こだわるんですかね〜。izai:いや、そこなんですよ。それがなにかわかれば、交響曲のよさが語れるって思います。今は私にはわからないというか、わかった気になってたんですけど、わからなくなってきました。
Sukesan:えーっ!わからないんですか〜。
izai:ははは…でも、かわりに本を紹介しますのでお許しを。
最近買って今読んでるんですけど〜
講談社現代新書「ロマン派の交響曲『未完成』から『悲愴』まで」著者は指揮者の金聖響、中の対談で共著者として玉木正之さんが聞き役として出てきます。私はこの本で、なぜブラームスが作曲家生涯の後半戦に入ってやっと交響曲を作曲したか、しかも立て続けに名曲である第1番から第4番の交響曲を書けたか、がうっすらとわかる気がしました。
Sukesan:それはなんでなんですかね〜?
izai:うまくは言えないんですが、ひとつはなんていうのかな、結局交響曲の数はたくさんあり、私も聴いたことのない曲はいっぱいあります。この本を読んで、聴いてみたいと思う曲もあるんですが、そんなに強くは思わない。それよりブラームスをもっと聴いていたいと思うんですけど、それはやはり正しいというか、その思いを強くしました。
そして、ブラームスを真の意味で産んだのはベートーベンだということ、それは、ブラームスばかりでなくロマン派の作曲家全員なんですけどね。でもロマン派の作曲家たちはワーグナーを急先鋒に楽劇や交響曲ならぬ交響詩という新しいジャンルに夢中になり、プラームスの師匠であったシューマンが「ライン」を発表したあと、いまでも演奏される名曲は交響曲ではブラームスが第1番を発表するまで約30年間生まれなかったそうなんです〜
とくに交響曲にこだわりをもち(ブラームスは20代から作曲生活をはじめているが、第1番の交響曲を書きあげたのは43歳のときだった…)、その作曲を通じてベートーベンを継承し(実際はベートーベンのあまりにも輝かしい交響曲の成果に対し格闘し続けたのだが…)、そのあとにつづくブルックナーマーラー交響曲をメインに作る作曲家の時代が再び来るまで、孤独に納得の行く形で、そのバトンをつないだみたいなことがわかるきがしたんです。
クラシック通ではない私はマーラーブルックナーをそれほどはきかず、好きでもありませんのですが。
ちなみにバトンというのはこのはてなブログで有名な「ハックルベリィに会いに行く」の中に、「死ぬことは悪くない、バトンを繋ぐことだ」っていう言葉に出会い、それをたまたま思い出した表現です。(注:このタイトルのブログは実在する)
Sukesan:なんか深イイ話ですね〜。その本借りてもイイすか?
izai:いいですけど、この本は同じく金聖響玉木正之さんによる講談社現代新書「ベートーベンの交響曲」の続編みたいなんで、私は読んでませんが、そっちを読んでみたらどうですか。わたしはまず本を読むのが割りと好きなんですよ〜。
Sukesan:マジすか?さきに聴いたりしないんすか〜
izai:もちろんあとから聴いたり見たりするときもあるんですけど。
あと、さっき紹介した「ロマン派の交響曲」のなかで金聖響さんが、音符が読めなくても楽譜(スコア)を見ながら、交響曲を聴くことをすすめてます。たしかに、どんな音がなっているか、地図を見ながら歩くみたいによくわかります。いくつか貸しますので、見ながら聴いてみては〜
Sukesan:あざ〜す!
izai:長時間登場、ホントにお疲れさまでした〜。