「六面体」広島市立大学大学院彫刻選考学生によるグループ展@京都寺町Gallery知

ひさびさの更新です。今日ハロワの帰りに偶然立ち寄ったギャラリーで、ひさびさに強烈なアート体験をした。
木彫りの子供の顔だけが壁から飛び出て、頭にもこもこした塊がついている。
タイトルは「雲として残す」
これも木彫りで寝転がった赤子の身体全体に入れ墨のように咲き誇る花が彫られきれいに彩どられている。
たしかテーマは「咲く」だったか。
天井から水滴が落ちる途中のしたたりがつららのように固まっている、色は黒い。その下には滴りが床に突きたったまま固まり、床に粘着性のたまりを作っている、色は白い。
「六面体」とは6人展のことらしい。
数は少ないが、いずれもかなり質の高い、わたしには有名な作家の作品と思えるほどのものだった。
作品に見いっているとギャラリー主らしき若者が、お茶を出してくれた。
これらの作品はなんと(標題のように)芸大の院生の作品展だとか…。
日頃アートとは無縁な自分の無知を思い知らされた。(陶芸をやっていると、店主には言っていたが…)
ただ、無知?はたしてそうだろうか。
別に作品が学生のものでもいいものはいいのでは。
陶器でできた「白いくじらと黒いくじら」と題された作品、店主によるとセラミック製らしい「くじらと石」と題されたもの、細長いくじらのオブジェが棒で支えられ、宙を泳いだように浮かんでいる。
昔見たクレーの魚の絵を思い出した。
この種のアートをなんというのか、無知ゆえに知らないが、アートの基本は欲しくなるかならないかだ。
わたしはこのことを一時期骨董キチガイになった小林秀雄の著作から習った。
美とはそういう性質があり、これらの作品はいたくその欲望を刺激するものだった。

またひさびさにある詩を思い出した。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか」(田村隆一「帰途」『言葉のない世界』より)
田村さんがこれを書いたのはまだスターリニズムソ連を支配し、「意味」の世界が人間を投獄し処刑する政治を、隠喩で告発した詩ではある。
戦後田村隆一さんらが作った一大(詩の)ムーブメント「荒地」は、戦前の「無意味」をアバンギャルドに作品にしていたダダ詩に、これも戦前のプロレタリアアートの「意味性」つまり「政治性」を融合した達成と言われている。
またそれは、敗戦で文字通り「荒地」と化した、当時の日本の状態を「現代文明の悲惨な危機」ととらえ、その現実を象徴的な「隠喩」で表現した運動であった。
同じような状況で、第一次大戦後のヨーロッパを詩で描いたエリオットの「荒地」という作品から、そのタイトルは借用されている。
しかし、この田村さんの「帰途」には、すこし特徴がある。それは以下に紹介する最終連にあらわれた「無意味」へ進む自分を立ち止まらせる「意味」の力である。

すべての優れたアートには、豊かな「無意味さ」がある。
これは、「無意味」を描くことで現代の「意味」に侵食されひからびた世界を告発するという「使命」を担っていて、とくに20世紀以降の優れたアート、たとえばピカソの絵画、ブニュエルゴダールの映画などに共通して見られる。
この現代詩や現代アートの基調である「無意味さ」「ナンセンス」は、その「使命」に誠実な証拠ではあるが、政治的状況がまったく現代とは異なり、攻撃性がステレオタイプとなり、硬直化古さを免れ得ない。
しかしながら、この「六面体」展の作品はみな「無意味」を基調として持ちながらも、一時代前の現代アートに見られた「攻撃的な無意味」をひっくり返し、「無意味な意味」の不毛を越え、意味性を「ナンセンス」の中に見い出し、固定観念化した「無意味」を乗り越えようとしているように見える。
それは新しい流れじゃないだろうか。
田村さんの「帰途」の特徴は、「無意味」でゆたかな自由のある「言葉のない世界」から政治的な「意味」に凍りついた戦後の冷戦的世界を告発しながらも、「意味」の世界にとどまろうとしていることだ。
だから、この小さな展覧会が、ほぼ50年前1962年に刊行された詩集『言葉のない世界』に収められた田村隆一のこの詩と、深く交流するものを感じたのだろう。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」
田村隆一「帰途」)この展覧会は10/24まで、場所は河原町丸太町のかわみち屋(そばぼうろ)の隣の京都中央信用金庫の角向かいです。11時〜19時、最終日は18時まで。
ギャラリー知:http://gallery-tomo.com