文学の中の暑い夏(2)・村上春樹「海辺のカフカ」

今日も暑さはおさまらなかった。家は暑すぎるので、久しぶりに近くの市民図書館に行く。
夏休みで土曜日でもあり、そこそこの人たちが集まられ、黙って本を読んでおられた。
そう、この暑さを凌ぐには、黙って本を読む、これしかない。
本を読みながら、この場面、自分が図書館、それも大学のそれのようなばかでかい図書館でない、こじんまりした平屋建ての図書館なのだが、そんな中で本を読んでいる、この場面を以前本で読んだことがあるな、と思い、なんの本だったかを思い出していた。
そして、思い出した。「海辺のカフカ」でカフカ少年が家出し、ある地方都市で図書館に入る、そこで彼は佐伯さんという女性館長と出会う。そしてその図書館で働きながら、しばらくその女性と一緒に図書館となっているその女性の家で暮らす(んだったと思う…いまテキストがないので名前に自信がない)。
そしてその女性が、かつて自分をおいて失踪した母親ではないか、と疑いだす。とにかくなにか自分の出生と関わりがあることを直感する。
ただこの女性は、その昔「海辺のカフカ」という曲を作り、シンガーソングライターとして一躍有名になった経歴があり、カフカ少年はその音源を調べレコードを発見する。
そしてその歌の中のカフカと、自分の幼年時代の思い出を重ね合ううちに、幽体離脱し若返った女性と性的合体を果たす…。
カフカ少年は、かたや自身も幽体離脱的なドッペルゲンガー現象に無意識に見舞われ、なんと自分の分身が父親殺しの犯人ではないかという疑いも持つ。
この間の「ハーミッツの渦」現象ではないが、ここにも「無意識」の現実化がSFとは違う手法で、小説化されていた。
このカフカ少年の体験した夏が、設定的にかなり激しく暑い夏だったような気がする。

また時間を飛び越える小道具として、
・図書館
・絵
・音楽
が登場していた。
図書館は、村上春樹作品には、昔からよく登場していたが、村上さんは図書館にどうもタイムスリップ的な要素を強く感じているようだ。
本屋でかつてこの小説が文庫化された頃、夏休みに読もう的なポップを見掛けた。
それはこの小説が夏の炎天下によく体験する時間の断層に意識が喪失する感覚をベースに持っているためにちがいない。
(写真は図書館の帰りに撮った岩倉の風景です。この辺りは昔とまったく変わらないのでモノクロにしてみました。)